2009年 10月 29日
ミヒャエル・エンデ |
・ミヒャエル・エンデ
NHKでミヒャエル・エンデの対談をやっていた。再放送。山口昌男が聞き手。興味深く観ていたのだが、近代あるいは西洋の価値観に無批判に乗っからないこと・異文化をその価値観で判定しないこと、などを話していたのだが、そのなかでブレヒトの話をしていて、エンデはブレヒトと親交があったんですね。そういえば、記憶の片隅にそんな情報があったような、なかったような。エンデはブレヒトの作品作りの姿勢に感銘を受け、感情移入を排した作品作りをしはじめたが、二進も三進もいかなくなった。そのときに、ブレヒトがブレヒト自身の理論には従っておらず、古典的ドラマツルギーを利用しながら作品をつくっていることに気づき(ブレヒトから教えてもらったんだっけか)、童話を書き始めることができたらしい。山口昌男は、それを「ブレヒトの説教くささが嫌になって」という言い方をしていた。
ブレヒトの理論というか、感情移入を排するやり方は、感情移入させる古典的ドラマツルギーの「使い方の作法」にあるのだな、と再確認したのだが、もっと確信的なブレヒトに対する理解が欲しい。
<一部削除>
NHKでミヒャエル・エンデの対談をやっていた。再放送。山口昌男が聞き手。興味深く観ていたのだが、近代あるいは西洋の価値観に無批判に乗っからないこと・異文化をその価値観で判定しないこと、などを話していたのだが、そのなかでブレヒトの話をしていて、エンデはブレヒトと親交があったんですね。そういえば、記憶の片隅にそんな情報があったような、なかったような。エンデはブレヒトの作品作りの姿勢に感銘を受け、感情移入を排した作品作りをしはじめたが、二進も三進もいかなくなった。そのときに、ブレヒトがブレヒト自身の理論には従っておらず、古典的ドラマツルギーを利用しながら作品をつくっていることに気づき(ブレヒトから教えてもらったんだっけか)、童話を書き始めることができたらしい。山口昌男は、それを「ブレヒトの説教くささが嫌になって」という言い方をしていた。
ブレヒトの理論というか、感情移入を排するやり方は、感情移入させる古典的ドラマツルギーの「使い方の作法」にあるのだな、と再確認したのだが、もっと確信的なブレヒトに対する理解が欲しい。
<一部削除>
by torikoshi_anx
| 2009-10-29 21:26