2009年 11月 09日
久しぶりの早稲田松竹 |
・ビクトル・エリセ
映画を観ようと思って、早稲田松竹へ。荒川線で学習院前まで行って徒歩。帰りは映画館から西巣鴨ちかくの自宅まで歩いて帰宅した。映画はビクトル・エリセという映画監督の作品二本立て。浅学で知らなかった。 『ミツバチのささやき』と『エル・スール』。映画について語る言葉をあまり持っていないので、詳しくはかけないのだが、淡々と進んでいく映画で、画面の美学が徹底している。キーワードとしては、「少年期」「ユメ」「ノスタルジア」という感じか。『エル・スール』での娘と父親・母親との関係描写はすごくよくて、「父親・母親」という存在が、ひとりの人間であるということに気づくという流れを緻密に描いていて、感嘆した。
・ベルリンの壁
ニュースを見ていて知ったが、今日はベルリンの壁崩壊から二十年。ニュースステーションでやっていた企画で印象的だったのが、東ベルリンの人たちの、壁崩壊後二十年間の生活だ(壁崩壊後、というよりも、統一後、というほうが正確だろうけれど)。ベルリンの壁の監視をしていた監視局(?)の所長は失業後、タクシードライバーをやったりアイスクリーム屋で働いたりしながら、数年前に年金生活になるまで安定収入はなかったという。現在二十八歳(だったか)の女性の意見では、東ベルリンでは乞食はいなかった、みな食うものにも困らず、幸せだった。統一後、経済格差が進んだ、という。取材にいったアナウンサーいわく「みな(東ベルリンのひとびと)が口を揃えて言っていたのは、ベルリンの壁を壊したのは、政治制度への不満ではなく、物欲だった。が、けっきょく西ベルリンにあった物を手に入れてみると、結局なにも満たされなかったということです」。きょうたまたま、というか、映画館からの帰り、池袋のジュンク堂で、岩波新書『ドイツ史十講』を買ったばかりだった。アウトゥロ=ウイの勉強のため(やはりドイツのおおまかな歴史は押さえとかないと)。しかしながら、おおまかな歴史のなかでなにが失われているのか、なにがそぎ落とされているのか、そこへの想像力ももっていないとな。
映画を観ようと思って、早稲田松竹へ。荒川線で学習院前まで行って徒歩。帰りは映画館から西巣鴨ちかくの自宅まで歩いて帰宅した。映画はビクトル・エリセという映画監督の作品二本立て。浅学で知らなかった。 『ミツバチのささやき』と『エル・スール』。映画について語る言葉をあまり持っていないので、詳しくはかけないのだが、淡々と進んでいく映画で、画面の美学が徹底している。キーワードとしては、「少年期」「ユメ」「ノスタルジア」という感じか。『エル・スール』での娘と父親・母親との関係描写はすごくよくて、「父親・母親」という存在が、ひとりの人間であるということに気づくという流れを緻密に描いていて、感嘆した。
・ベルリンの壁
ニュースを見ていて知ったが、今日はベルリンの壁崩壊から二十年。ニュースステーションでやっていた企画で印象的だったのが、東ベルリンの人たちの、壁崩壊後二十年間の生活だ(壁崩壊後、というよりも、統一後、というほうが正確だろうけれど)。ベルリンの壁の監視をしていた監視局(?)の所長は失業後、タクシードライバーをやったりアイスクリーム屋で働いたりしながら、数年前に年金生活になるまで安定収入はなかったという。現在二十八歳(だったか)の女性の意見では、東ベルリンでは乞食はいなかった、みな食うものにも困らず、幸せだった。統一後、経済格差が進んだ、という。取材にいったアナウンサーいわく「みな(東ベルリンのひとびと)が口を揃えて言っていたのは、ベルリンの壁を壊したのは、政治制度への不満ではなく、物欲だった。が、けっきょく西ベルリンにあった物を手に入れてみると、結局なにも満たされなかったということです」。きょうたまたま、というか、映画館からの帰り、池袋のジュンク堂で、岩波新書『ドイツ史十講』を買ったばかりだった。アウトゥロ=ウイの勉強のため(やはりドイツのおおまかな歴史は押さえとかないと)。しかしながら、おおまかな歴史のなかでなにが失われているのか、なにがそぎ落とされているのか、そこへの想像力ももっていないとな。
by torikoshi_anx
| 2009-11-09 23:49