2009年 11月 30日
ワークショップ・オーディション二日目 |
ワークショップ・オーディションの二日目。同じく題材はイヨネスコ『二人で狂う』である。昨日は本読みという形で、参加してくださった方々を様々な形で組み合わせながら進めていたが、今日は配役を決定させて、自由時間も含め稽古をしていただいた。
二日間しかなかったが、本当に有意義な時間であった。と思っている。果たして普段の稽古でここまで濃密に稽古ができているか、自分の出したダメだしがこの速度で有効に役者に機能しているか、と問い直される。みなさん、いい役者のひとたちだった。だった、というか、参加していただける方には、ぜひ、演出家の存在意義を問うような演技をしていただきたいと真に思う。
(話はずれるが、演劇は役者のものだ。もちろん、戯曲・演出がよくなければ、まったく面白くない。しかし、端的に言って、観客の前に存在を晒しているのは役者であるという当たり前の事実はとっても重要である。役者が戯曲も演出もすべて体現できていなければ、役者は観客からバカにされるのである。台詞をしゃべれていない役者を面白がる演出など、愚の骨頂である、と私は思う。)
今回のワークショップが、ひさしぶりの稽古であったため、六月以来の自分の成長を試される機会でもあった。まぁ、それなりにしっかり成長していたのではないかと思う。演劇をやらなくても、成長できる。というか、社会と繋がりながら、人間を試される場での人間力の成長のほうが、演劇人にとっても重要なのだ。しかし、一方で、根本的な自分への自分ダメだしは変わらない。役者には、その自分のダメなところを根本から治せと、性格ダメだしをしそうなところである。だから、変わらないといけない。しかし、そこばかり意識すると、おそらくマスキュリンな芝居をつくってしまいそうで、たいへん怖い。しかもそれは、いまの自分がとても嫌いな芝居で、おそらくというか確実に、将来の自分も大嫌いな種類の芝居であろう。成長すると見えなくなるところもあるのだ。まぁ、だからこそ、成長である。しかし、観客のまえに晒す、観客のみなさまに見ていただく芝居としては、言い訳できない。両者をともに突破できるような、じぶんの改革法を考えなければならない。まだ、見えない。暗中模索だ。といって、わかったようなことをいうのがよくないのである。
なんにしても、二日間のワークショップが、参加者のみなさんにとって、有意義な時間であったこを切に祈る。だって、ひとりにつき十二時間も時間をさいていただいたのだ。たいへん恐ろしいことだ。しかしながら、公演の稽古になると、その時間の倍増の仕方は半端でないので、それまた恐ろしい。その恐ろしさへ、しっかりと向き合っていきたい。向き合えないなら、演出家なんてやめればいい。のだ。
二日間しかなかったが、本当に有意義な時間であった。と思っている。果たして普段の稽古でここまで濃密に稽古ができているか、自分の出したダメだしがこの速度で有効に役者に機能しているか、と問い直される。みなさん、いい役者のひとたちだった。だった、というか、参加していただける方には、ぜひ、演出家の存在意義を問うような演技をしていただきたいと真に思う。
(話はずれるが、演劇は役者のものだ。もちろん、戯曲・演出がよくなければ、まったく面白くない。しかし、端的に言って、観客の前に存在を晒しているのは役者であるという当たり前の事実はとっても重要である。役者が戯曲も演出もすべて体現できていなければ、役者は観客からバカにされるのである。台詞をしゃべれていない役者を面白がる演出など、愚の骨頂である、と私は思う。)
今回のワークショップが、ひさしぶりの稽古であったため、六月以来の自分の成長を試される機会でもあった。まぁ、それなりにしっかり成長していたのではないかと思う。演劇をやらなくても、成長できる。というか、社会と繋がりながら、人間を試される場での人間力の成長のほうが、演劇人にとっても重要なのだ。しかし、一方で、根本的な自分への自分ダメだしは変わらない。役者には、その自分のダメなところを根本から治せと、性格ダメだしをしそうなところである。だから、変わらないといけない。しかし、そこばかり意識すると、おそらくマスキュリンな芝居をつくってしまいそうで、たいへん怖い。しかもそれは、いまの自分がとても嫌いな芝居で、おそらくというか確実に、将来の自分も大嫌いな種類の芝居であろう。成長すると見えなくなるところもあるのだ。まぁ、だからこそ、成長である。しかし、観客のまえに晒す、観客のみなさまに見ていただく芝居としては、言い訳できない。両者をともに突破できるような、じぶんの改革法を考えなければならない。まだ、見えない。暗中模索だ。といって、わかったようなことをいうのがよくないのである。
なんにしても、二日間のワークショップが、参加者のみなさんにとって、有意義な時間であったこを切に祈る。だって、ひとりにつき十二時間も時間をさいていただいたのだ。たいへん恐ろしいことだ。しかしながら、公演の稽古になると、その時間の倍増の仕方は半端でないので、それまた恐ろしい。その恐ろしさへ、しっかりと向き合っていきたい。向き合えないなら、演出家なんてやめればいい。のだ。
by torikoshi_anx
| 2009-11-30 01:21