2010年 01月 06日
一日休みを挟んで稽古 |
題名どおり、一日休みを挟んでの今日の稽古。インフルエンザで演出(自分)が休ませていただいていたのもあり、やっと本読みが終了する。本読みに五回ほど稽古を使った(役が決定してからは三日)。少し短いが、全体の台本の話も踏まえつつ、ヒトラーの歴史も交えて、いい稽古ができているのではないかと思う。しかしながら、実際はミザン(立ち位置など)を決めて、台本を離し始めてからの稽古が勝負どころである。
ブレヒトの演劇観なども勉強した限りのことを、勉強して、自分として消化できている部分をしっかりと伝えていっているつもりだが、ブレヒト研究のひとたちからすれば間違っていることもたくさんあるのだろう。しかし、必要な分量は勉強・消化できていると思う。原作の<作品上演の指示>というものに次のような記述がある。「必要なのは、昔の歴史画的な趣をもった、見通しのきく群集処理をすみやかなテンポで行いつつ、造形的演技を示していくことである(岩淵訳)」。この部分に、ブレヒトの演技観の一部は凝縮されていると思われる。かの有名な、登場人物に同化して演じるのではなく、観客に、説明するように演じろ、という演技指導である。だが、同化か説明か、という二項対立ではなく、問題は、「説明」する仕方、てつきに帰着するのではないかと思っている。ブレヒトの戯曲は、登場人物を「鋭く図式化」して観客に提示していくことを求めている。「鋭く図式化」するてつきが、観客とのあいだに産まれる共犯関係へと昇華されるのではないか、と自分は考えている(ちなみに、「鋭く図式化」という言葉は、日本倫理思想史家・和辻哲郎のことばからの引用である)。そのような理解の下、それなりにうまい具合に演出プランを思いついている。この調子でぐんぐん進みたい。
ブレヒトの演劇観なども勉強した限りのことを、勉強して、自分として消化できている部分をしっかりと伝えていっているつもりだが、ブレヒト研究のひとたちからすれば間違っていることもたくさんあるのだろう。しかし、必要な分量は勉強・消化できていると思う。原作の<作品上演の指示>というものに次のような記述がある。「必要なのは、昔の歴史画的な趣をもった、見通しのきく群集処理をすみやかなテンポで行いつつ、造形的演技を示していくことである(岩淵訳)」。この部分に、ブレヒトの演技観の一部は凝縮されていると思われる。かの有名な、登場人物に同化して演じるのではなく、観客に、説明するように演じろ、という演技指導である。だが、同化か説明か、という二項対立ではなく、問題は、「説明」する仕方、てつきに帰着するのではないかと思っている。ブレヒトの戯曲は、登場人物を「鋭く図式化」して観客に提示していくことを求めている。「鋭く図式化」するてつきが、観客とのあいだに産まれる共犯関係へと昇華されるのではないか、と自分は考えている(ちなみに、「鋭く図式化」という言葉は、日本倫理思想史家・和辻哲郎のことばからの引用である)。そのような理解の下、それなりにうまい具合に演出プランを思いついている。この調子でぐんぐん進みたい。
by torikoshi_anx
| 2010-01-06 23:52