2010年 01月 25日
人生の |
人生のさまざまな状態を映し出すような、思い出させることができるような演劇でなければつまらない。思い出させる、というのは非常に誤解を生みやすいが、単純な意味での思い出す、ではない。いままで、記憶の奥に封じ込まれているような、あるいは、いままでそのようなイメージとは思っていなかったような記憶が、新たな色彩を帯びて、現在の自分とつながる、というようなことである。わかりにくい表現だ。演出家として、いまだに演出家と名乗っていいのかもわからないが、だが、それでも演出家と名乗るのは、ひとつの作品を作る演出家としての責任であるが、演出家として、もっともっと先に進みたい。それは人間としての進化と同時進行である。だが、己は己だ。だめな意味で、アイデンティティの主張をしたいわけではない。それでも、己に即した演出家としての像が存在するはずである。掴まえたい。どうにか、もっと、先へ。そして、もっと今を。今、この瞬間を、掴まえられる演出家でありたい。
by torikoshi_anx
| 2010-01-25 01:54